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人間とコンピューターとメディアの接点をデザインするために考えたこと

【読書メモ】融けるデザイン -ハード×ソフト×ネット時代の新たな設計論

photo by United States Marine Corps Official Page

読書メモです。

  • 渡邊恵太・著の「融けるデザイン -ハード×ソフト×ネット時代の新たな設計論」

とても良い本で、これから何度も読み返したいと思います。 漠然と考えていても言語化できていなかった思考を言葉にするヒントをもらえたような気がします。

本のテーマとしては本書からの引用となるのですが

コンピューターがもたらす知的増幅と強化は、人間の知覚や行為といった身体能力まで広がろうとしている。家電量販店で販売されているものだけを見てコンピューターの進化を考えてしまうと、デスクトップ型、ノート型、タブレットスマートフォンだと考えてしまうかもしれない。 しかし、エンジニアやデザイナーであるのであれば、コンピューターの進化の本質は知的増幅装置としての進化、歴史として捉えることが大切だ。

というところだと感じています。

読んで考えたことを整理するために以下、読書メモ

※ この本からと、どこかからの受け売りと、考えたことがごちゃまぜの文章です。

電子計算機(コンピューター)に何をさせるのか?

コンピューターは本来ただの計算機+記憶装置であり、何にでもなることができる存在です。

計算機科学者であり「パーソナルコンピューター」を提唱したアラン・ケイは、 コンピューターは人類最初のメタ・メディアであると言ったそうです。

「コンピュータは,他のいかなるメディアー物理的には存在しえないメディアですら,ダイナミックにシミュレートできるメディアなのである.さまざまな道具として振る舞う事が出来るが,コンピュータそれ自体は道具ではない.コンピュータは最初のメタメディアであり,したがって,かつて見た事もない,そしていまだほとんど研究されていない,表現と描写の自由を持っている.それ以上に重要なのは,これは楽しいものであり,したがって,本質的にやるだけの価値があるものだということだ」 * アラン・ケイ コンピュータ偉人伝 ちえの和WEBページ

しかし「何にでもなれるコンピューター」を突然、目の前に提示して「便利だから使ってよ」といっても結局それだけでは、何の役にも立ちませんし、使い方もわかりません。コンピュータはそれ自体は道具ではないのです。

だからこそ、何をさせるか、どうやって人と関わらせるかのデザインが重要となっていきます。

メタファを利用する

今までは「すでに存在している何か」をメタファとしてを利用することで、コンピューターの役割を人間に認知させてきました。

多くの場合アナログからデジタルへの置き換えという流れを利用することは、古い役割をそのまま踏襲(古いメタファを利用)させることができ、利用者の操作方法や期待できる役割に対する認識も容易となります。

コンピューター(デジタル)の導入ということで言えば

  • アナログテレビー>デジタルテレビ
  • ビデオ(VHS)レコーダー-> HDDレコーダー
  • ウォークマン(カセットテープ)からmp3プレイヤ
  • 紙のカレンダ(手帳)ー からiPhoneのカレンダー

などがこれにあたるでしょう。

多くの場合、これらは「電子xx/電気◯◯」という名称を与えられることで浸透していきます。

(もう、言わなくなった物もありますね)

期待できる役割を認知する方法、操作するための方法、リモコンボタンの形に関してはほとんど変化がありません。

メタファからの脱却

スマートフォンの登場以降、それまでのメタファでは表現できないサービスが登場してきます。

SNSFacebooktwitterなど、それまでの「すでに存在している何か」で言い表すことが出来ず、さらに、何かのメタファを利用することで逆にサービスのイメージに制約が出てしまいます。

twitterなどはマイクロブログとも言われてブログがメタファになっているのですが、個人的には少し違和感があります。ある一面しか表せていないのではないでしょうか?

メタファの利用できないサービスはわかりやすいところでいうと、アプリアイコンのデザインにも表現がされています。

フラットデザインという考え方もこのメタファからの脱却の手法として採用されました。 以下のサイトも参考になるので、詳しく理解したい方は是非

shunter1112.tumblr.com

体験を軸にした設計

メタファを利用せずに、メタメディアであるコンピューターを人間の役に立つものとして活用するにはどのように設計すればよいでしょうか?

そこで「体験を軸にした設計」という考え方が発展してきました。

UXやHCI(人間中心設計)という考え方です。

これは、簡単に言うと、体験の価値、拡張されるべき体験を定義し、それを元にデザインを行なっていく考え方です。

この考え方を元にすると、デザインすべきは、画面の中ではなく、体験する行為自体であると、視点が根本的に変わってきます。

ただし「体験」という言葉は、解釈が曖昧で、都合よくとられがちです。

そのため、この本の筆者は体験について、発想のフレームワークとして

  • [社会レイヤ]・・・コンテクストを設計
  • [文化レイヤ] ・・・コンテンツを設計
  • [現象レイヤ] ・・・インターフェースを設計

の三つのレイヤーに分けて考え、解説しています。

詳細は是非読んでください。

体験における自己感

この中で現象レイヤであるインターフェース設計において、「体験における自己感/自己帰属感」に関して詳しく解説がされています。

人間が行為を行ったことに対する反応がより透明である、自然であると、それが自分の体の一部のように感じられ、自己帰属感が高まります。

例として、カナヅチが挙げられているのですが、カナヅチは手に持って利用していると、 まさに、手の一部のように、身体が拡張されたように感じます。

コンピューターのインターフェースがCUI/GUI/NUI(Natural User Interface)と移行していく中で、 自分の体の一部のように感じられるためには、この考え方を用いて設計を行うことが、 このような体験設計が非常に重要です。

テクノロジーとリベラルアーツ

NUIの開発・設計を行うにあたっては、今までのシステム開発の設計技法とはアプローチの方法、必要となる知識が大きく異なることになります。

特に、私も含めて今までWEBサイトやシステムの開発に関わっていた人は、注意が必要だと思います。

WEB上でのUX/UIの考え方に関して今までも多くの議論や知識が公開されてきましたが、 それはあくまで、人間とディスプレイの中のやりとりの問題で議論・解決されることが多かったのではないでしょうか?

この考え方を引きずったまま、次のステップに入ろうとすると、逆に今ある知識、前提が制約になり かなり狭い分野の中での議論・課題解決にしかならないかもしれません。

メタファから脱却し、体験を軸にした設計を行うためには、テクノロジーだけでなく、心理学や、歴史、経済学など幅広い分野に関する知識とコンテキストを理解し、組み合わせる能力が必要となります。

このような分野(リベラルアーツ)は今まで日本ではあまり重視されておらず、対応できる人材も少なく、簡単には育ちません。 教育する仕組みも大学・社会含めて不足しているのではないでしょうか?

真似するのが得意な日本において、表面上のフラットデザイン風とか、Apple風なもの議論が、たくさん存在していますが、 下地となるリベラルアーツやコンピューターを向き合ってきた歴史のコンテキストに対する理解が足りていません。

日本においてと書きましたが、足りていないのは私なのでしょう。よく勉強し、考えます。

おまけ

iPadの発売の際にAppleのスティーブジョブスが以下のような発言をしています。

ASCII.jp:ジョブズが語ったiPad 発表会を総力レポート!(後編) (4/4)

「アップルという会社は、常にテクノロジーとリベラルアーツの交差するところに立とうとしている会社。われわれはベストなテクノロジーを作りたいが、それをまた直感的に実現したいとも思っている。この2つのコンビネーションがわれわれにiPadを作らせた」

Apple信者というわけではありませんが、このジョブスの言葉は、Appleの製品開発において永年一貫してつらぬかれており、それを確実に表現してきています。

負けてはられません。

融けるデザイン ―ハード×ソフト×ネット時代の新たな設計論

融けるデザイン ―ハード×ソフト×ネット時代の新たな設計論